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IMG_1911(photo:敦賀入港を前に、ピース&グリーンボート洋上で参加者にレクチャーをする西野ひかるさん)

敦賀での受け入れをコーディネートしてくれた環境団体代表の西野ひかるさん。ピースボートの訪問が決まり、とまどいながらも受け入れ態勢を進めてきた現地の事情や、外の人たちに知ってほしいことを聞きました。

◆ツアーのバスが借りられない!

ピースボートのクルーズで大勢の人を連れて来るという話になったのは、若狭でのMEECが終わってからです。多くの人に原発立地地域の実情を知ってもらいたいと思っていた私としてはもちろん大歓迎なのですが、その意義を若狭のみんなにどう伝えればいいか、試行錯誤の毎日でした。

MEECでは、「原発に賛成の人も反対の人も、ともに語り合おう」というスタンスだったので、そのイメージで周りに協力を求めていたのですが、刷り上ったパンフレットの表紙に「脱原発クルーズ」と大々的に入っていたので、みんな引いてしまいました。せめて「原発を考えるツアー」というタイトルだったらよかったんですけど。MEECで手応えを感じていたゆめわかのメンバーでさえ、これは他の人には見せられない、紹介できないという反応でした。そこから「じゃあ、どうすればいいか」「どういう形にすれば、このクルーズが若狭にプラスになるのか」と一つ一つ考えて行きました。

いろんなことがありましたが、一番大変だったのは意外なことに「バスの確保」でした。私もそれがそんなに大変なことだとは思ってもみなかったし、その過程で、自分自身知らなかった原発立地地域の実情を知ることになりました。

嶺南地域(若狭湾に面した福井県南西部)にはバス会社が何社かありますが、私の目には路線バスや観光バスしか見えていませんでした。ところが、すべてのバス会社が毎日、原発作業員の送迎をしていたのです。その背景には、若狭の原発はどこも半島の先にあり、最寄りの駅や市街地から30分程度かかるという理由があります。100%それで成り立っている会社もあるし、そうでなくても、どこの会社にとっても安定した収入源なのだということを、その時初めて知りました。だから、「脱原発クルーズ」を積極的に引き受けようというバス会社はありませんでした。

その一方で、2008年のリーマンショック以降、若狭の観光業はずっと落ち込み続けています。2011年の震災と原発事故による自粛ムード、更には、2012年の大飯原発再稼動の影響も大きいものでした。だから、「たとえどんな主張であっても、たくさんの人が来てくれるのは観光業にとってはありがたい」という雰囲気もありました。最終的に引き受けてくれたバス会社では、社内でかなりの議論があったそうです。反対意見も随分あったようですが、「せっかく若狭にお客さんがやって来てお金を落としてくれる機会なのに、自分たちが断ることでそのチャンスをつぶすのは申し訳ない」と考えて、リスクのある仕事を引き受けてくれました。周りからも「危ないからやめとけ」と言われていた、とクルーズ後に明かしてくれました。

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(photo:現地ボランティアの方の案内で歴史ある小浜の町をめぐる)

◆ 「原発」と「めざすべき未来」の両方がある場所

バスだけでなく、民宿や土産物店、まち歩きの関係者等、受入れをしてくれたところには、みんな葛藤がありました。原発に賛成、反対、という個人的な意見だけではありません。静かで穏やかだった町が、再稼働をめぐる連日の報道や騒動に傷つき、疲れていました。だから、私はピースボートのスタッフにお願いをしました。「ピースボートなのだから、平和の風を運んで来てほしい。若狭が元気になることを考えてほしい。」「何百人の人で抗議に来るつもりならNOだ。何百人で応援に来てくれるならWelcome!!」と。

そうやって、それぞれのツアーが作られていきました。更には、私自身も船に乗り込んで、参加者の皆さんに事前に状況を説明し、過激な抗議行動と思われるようなことは控えてほしい、とお願いする機会を作ってもらいました。お陰様で、大きなトラブルもなくツアーを終えることができました。

若狭の人たちの原発に対する反応は、外の人からは理解しづらい面がたくさんあります。雇用や経済、事故の危険性といった面だけでは語れません。これまで、「自分たちが関西圏で使う電気を産み出し、関西の経済や暮らしを支えているんだ」という、ある種の誇りを持って、多くの人が働いてきました。それが福島で事故が起きてから、いきなり悪者扱いされるようになったのです。自分たちがミスをした訳でもなく、これまでと同じように働き電気を送り続けて来たのに、急にシュプレヒコールを受け、「バイバイ」と言われるようになってしまった。一番ショックを受けたのは、原発で働いている人たちだったと思います。

原発報道では、空からの映像が多いです。ニュースを見ている人は、そこにある放射能を出す核燃料が気にかかるのでしょう。でも、私たちはそこで働いている人の顔を思い浮かべます。朝早くからバスに揺られて行く人。作業員の世話をしている民宿のおばちゃん。PR館で働いている知り合い。そこが、立地地域とそれ以外との大きな差だと思います。

都市の巨大システムの中で生活していると、「人」が見えなくなります。モノやサービスの後ろには、必ず人がいる。そこを大切にしないと、自分も大切にされない。私はいったん故郷を離れて、20年ほど都会で暮らし、10年前にUターンして来ました。都会で暮らしていたからこそ、田舎の暮らしの豊かさをしみじみと感じながら生活しています。

若狭は人が優しく、お互いに感謝し、支え合いながら生きています。穏やかな心安らぐ風景に満ち、食べ物もすぐ近くで調達できます。

どこで採れ、誰が作ったか顔の見える食べ物。たくさん採れた時には、どこかから回って来ます。若い頃は、都会は活気があっていいと思っていましたが、最近では、田舎の人の方が、活き活きとしているように感じます。私は、今の日本社会の様々な問題を解決するカギは、都会よりもこうした田舎にあるんじゃないかって思っているんです。

若狭の場合は、そのような都会にはない田舎の素晴らしさと、様々な問題を象徴している原発の両方が存在しています。今はたまたま原発だけにスポットが当たってしまったのですが、「それだけじゃないよ。これから私たちがめざすべき方向性、ヒントがここにはいっぱいあるんだよ」って言いたいんです。原発の問題を考えるだけでなく、そのような田舎の生き方を肌で感じてもらいたいという思いで、受け入れの準備をしていきました。

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(photo:敦賀のシンポジウムの際に行われた物産展の様子)

◆ピースボートの訪問を終えて

敦賀でのツアーのコーディネートを行って、実際に行ってみるまでは、うまくいくかなとか、問題が起きないかなとか、天気は大丈夫かなといった、さまざまな不安はありました。でもクルーズを終えた今は、すっきりとした気持ちになっています。自分の中では船の中で言うべきことを言い、福島出身の人を含めいろいろな人たちとつながることができました。関わってくれた地元のメンバーのからも、当日の訪問はとてもうまくいったし、ピース&グリーンボートを受け入れてよかったという反応を聞いています。

ただ、まだまだタブー意識は存在しますし、まだまだみんな小声になり、わざわざ遠回しに話すことが多いです。原発の話題はやめよう、と言われることもあります。私は船に乗って、10日間大きな声で自由に議論していたので、帰ってからギャップに戸惑うことがありました。ちょっと都会人になってしまいましたね (笑)。

今までと違うのは、クルーズで出会った人たちの笑顔が思い浮かぶことです。背中にたくさんの応援団を背負っている感じです。だから、多少のトラブルも乗り越えられる気がします。クルーズ参加者のアンケートでは、「若狭の印象が変わった」「また、ゆっくり訪ねてみたい」という感想をたくさんいただきました。私たちが伝えたかったことが伝わったんだと思います。若狭のみんなもまだまだみなさんと話したいこと、共有したいことがいっぱいあります。これを機会に、今後も更なる交流が広がることを期待ています。

(writer:TM) 下へ続く
原発立地の内と外をつなげたい(上)はコチラ

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