Home

脱原発クルーズの寄港地のひとつ、敦賀での受け入れをコーディネートした環境団体代表の西野ひかるさん。敦賀を含めた若狭地方には日本の原発の3分の1が集中し、地域の主要産業となっています。この地域では、関連企業だけでなく、重要な取引先として関わっている人も多く、原発の是非についての話題そのものがタブーとなっています。

小浜市在住の西野さんは、こうした地域ならではの事情や人々の苦悩を外部に伝えるとともに、外の人の力を呼び込んで、地域を少しづつ変えていこうとしてきました。彼女から、原発立地で声を挙げるようになったきっかけや、ピースボートを受け入れた思いを聞きました。

画像

※写真:西野ひかるさん

◆なぜ声をあげたのか

私は、地元の小浜市を中心に、海の環境保全活動をしてきました。その流れで、2年前から京都大学の大学院で、「地球環境学」を学びはじめました。小浜市から京都までは山を挟んで1時間半の距離にあります。京都は環境に関しては先進地であり、知識や情報、人が集まっています。

しかし、それがなかなか山を越えてこちら側にまではやって来ません。私は若狭を自然共生型の地域社会にしていきたい、と思っていたので、自分が大学院で学ぶとともに、知識や情報、人を若狭に引っ張ってくることができたらいいと思いました。自分はそのパイプ役をやるつもりだったのです。

でも、3・11の震災と原発事故が起きて、「これまでの問題意識のままで良いのかな」という複雑な気持ちになりました。京都を含め西日本では、原発事故のことが遠くの問題という受け止め方でした。福井の原発で同じことが起きれば、京都も大変なことになるのに・・・。
正直なところ、事故後数ヶ月は、何をどうしたらいいかわかりませんでした。あまりにも問題が大き過ぎて、自分がどう関わったらいいか迷い続けました。原発の立地地域で声をあげるというのは勇気がいることでもあります。

ところが、2012年の元旦に「これからは逃げることなく、原発の問題と向き合っていこう」という思いが、自然に降りて来たのです。地元だけで解決できる問題ではないと思ったので、京都大学の仲間にも呼びかけたり、地域外に助けを求めました。

そうした動きが、2月に飯田哲也さんや枝廣淳子さんらが発起人となっている「みんなのエネルギー環境会議(MEEC)京都」(※2)での登壇につながっていったんです。そのシンポジウムでは、私の意見だけでなく、若狭に暮らす高校生から大人まで、原発についてどう考えているかという感想を集めて、「若狭の声」として発表しました。ほとんど知られていないこうした原発立地地域の声を伝えることが大切だと思ったからです。

※1 若狭とは若狭湾に面した福井県南西部の嶺南地方のことで、自治体には 敦賀市、小浜市、美浜町、高浜町、おおい町、若狭町が含まれている。

※2 MEECは原発について意見が異なる人がともにエネルギーの問題を考え、対話していくシンポジウム。環境エネルギー政策研究所(ISEP)所長の飯田哲也さんや、環境ジャーナリストの枝廣淳子さん、ピースボートの吉岡達也らが発起人となり、全国各地で開催されている。

◆原発立地の内と外とのギャップ

人前で話すようになってから気づいたことがあります。それは、原発立地地域に暮らす私たちの事情と、それ以外の地域に暮らす人たちの思いがまるで違うということでした。しかもこれだけギャップがあるということに、どちらの側の人もほとんど気が付いていない。これは何とかしなければと感じました。

京都でのシンポジウムを終えてすぐ、こういう会を若狭でも実現したいと思いました。若狭にとってはエネルギーになるし、外の人たちに立地地域の実情を知ってもうらう機会にもなるからです。京都のシンポジウムにはピースボートの吉岡さんも登壇されていて、若狭で一緒にやりましょうということになりました。
その小浜市でのMEECが実現したのは6月だったのですが、その前から大飯原発再稼動に向けての動きが活発化していきます。(実際の再稼動は7月1日)それくらいの時期に、原発反対派の方から若狭の人たちがバッシングされるようになりました。「なぜ原発立地地域の人たちは、原発を動かして欲しいと言うのか!」というフラストレーションがあったんだと思います。「もし若狭の原発で事故があって避難してきても受け入れないぞ」という言葉を投げかけられた人もいます。

画像

※写真:海側から見た大飯原発

言った人の意図はどうであれ、少なくとも若狭にいる私たちにとってはバッシングと感じたのです。こういう声が出るということは、地元の人が「原発を動かさないと経済的に生きていけない」という気持ちに追い込まれている事情がわからないということです。どちらも安心して暮らしたいという気持ちは同じはずなのに。

このギャップは、まさに私が心配していた、原発立地の内と外の溝でした。そのようなことがあって、当時の私の気持ちには、外の人に若狭の実情を理解してもらって、若狭の人たちを守っていかないといけない、という使命感のようなものがありました。

地元の人たちが一番心配しているのは、「原発を止めたら私たちの経済や雇用はどうなってしまうんだろう」というものです。その答えを示して行かないと、いくら反対と言ってもその言葉は届きません。私はそれを外の人たちと協力して、一緒に作っていくような流れにできないかと考えました。

若狭でMEECをやろうとしたのもそうですし、今回のピースボートの受け入れに関しても同じ思いです。そうすることで、まず、地元のタブーを破りたいと思いました。若狭では原発の話なんて、本当に人を選んで、小声でひそひそ話しでしか話せない状況なんです。それを普通に話せるようにしたい。そして、みんなで頭を寄せ合って、この問題の解決方法を考えて行きたい。それが、今、地元に必要なことだと思いました。

(writer:TM) ※3回シリーズ  原発立地の内と外をつなげたい(中)へ続く

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中